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世界史の目

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ギャラリー

第144話


社会主義思想の成立

 イギリス産業革命は資本主義における経済と社会を導出した。新たに生み出された工場制機械工業による大量生産と、それらに従事する"労働者階級プロレタリアートプロレタリア。無産階級)"の成立によって、中世以来、ギルドによって守られてきた親方職人・手工業者の地位低下・没落をおこし、これまでの下層階級の歴史に新たな風が吹き込まれる大転換期が現出された。
 しかし新しい時代の誕生もつかの間、新たな問題も浮上した。親方のもとで奉公する徒弟の修業が不必要になった時代、低賃金で労働できるようになったことで、貧しい婦女子たちも仕事に有り付くようになり、労働人口は爆発的に増加していったが、労働者住宅の不足などで生活環境は悪化、やがてそれに加え、長時間労働、工場内の衛生管理、低賃金といった労働条件の劣悪化も問題化していった(労働問題)。

 これにより、労働に関する規制を行い、労働者を保護するための工場法を制定することになった。まず1802年イギリス政治家ロバート=ピール(1788-1850。のち首相。任1834-35,41-46)による児童労働に関する法を中心にまとめられて制定され、続いて1819年、もと織物業を丁稚奉公から始め、のちに成功の手を掴んだイギリスの工場経営者ロバート=オーウェン(1771-1858)が労働環境の改善、児童労働の保護、生活の改善を主張した工場法を制定した(1819年工場法。紡績工場法)。この法では9歳以下の児童の雇用禁止、9歳から16歳の労働時間が12時間に制限された。
 工場法はその後も発展を見せ、1833年工場法(一般工場法。9~13歳労働者の労働時間を9時間に規制。18歳以下は12時間労働)をはじめ、1844年法、1847年法と展開していった。

 オーウェンは私財を投じてアメリカ・インディアナ州に渡り、社会改革的事業に取り組み、共産社会共同体"ニュー=ハーモニー村"を創設(1825-29)、しかし失敗した。財産喪失後は自身も労働者階級の一員として、私有財産制度への非難を主張し、帰国後労働組合・協同組合の育成にも努め、"全国労働組合大連合(GNCTU。Grand National Consolidated Trades Union)"を創設した(1833-34)。しかし政府より危険分子と見なされ弾圧、内部分裂も起こって失敗した。数々の活動は実を結ばなかったが、オーウェンの理想的な共産社会、つまりユートピアはその後の社会運動家に大いなる影響を与えていく。

 理想的共産社会の構想は、古くはギリシアの哲学者プラトン(B.C.429?-B.C.347)が著した『国家』においてもみられる。また16世紀にでたイギリスの法律家で、"ユートピア"の名付け親であるトマス=モア(1478-1535)は、まさに主著『ユートピア』において現実を批判して夢の理想郷の仕組みを描写した。

 近世フランスでも同様にユートピアの建設を目指す人物も多くあらわれた。フランス革命期(1789-99)にでた革命家バブーフ(1760-97)は"共産主義"や"独裁"という語を初めて用い、のちの諸革命運動に多大な影響を与えた。さらには、投機事業で設けた財産で社会再組織化計画の研究に没頭し、特権階級のない真の産業社会を目指したパリ出身のサン=シモン(1760-1825)、富裕毛織物商出身で、商業的な側面から資本主義社会を批判して協同組合的ユートピア"ファランジュ"を構想して実現しようとしたフーリエ(1772-1837)、暴力を使って権力機構の奪取を目指したブランキ(1805-81)、国家権力を否定して完全に自由な社会を目指すことに力を尽くし(これを無政府主義という。アナーキズム)、"無政府主義の父"と呼ばれたプルードン(1809-65)、労働委員会の設置や、国立作業場の建設など、さまざまな社会改革を施したフランス第二共和政(1848.2-1852.12)の中心人物ルイ=ブラン(1811-82)らが代表的な活動家である。彼らの考え方は、貧富の格差や私有財産の存在は社会的な不平等の根源であるとして、その存在に制限をかける、あるいは廃止させて全体の福祉・相互扶助を図り、平等で豊かな社会を実現させる社会主義思想であった。

 しかしこれらの社会主義思想というのは、すべて仮説の上で成り立つ完全な社会主義国家であり、実現化・持続作用・確実な必然性まで考えるには至らず、あくまで頭の中でイメージされた夢物語であった。つまり人道主義的な資本家の良心に期待して、彼らの協力を得てユートピアを建設することによって、激化した労働問題や社会問題を解決していく考え方は、やがて他の社会主義的思想家たちによって"空想的社会主義"と称されて批判されることとなる。この空想的社会主義を批判した思想家たちこそ、ドイツの2人のジャーナリスト、カール=マルクス(1818-83)とフリードリヒ=エンゲルス(1820-95)であった。

 マルクスやエンゲルスが掲げる社会主義思想というのは、オーウェン、サン=シモン、フーリエらといった空想的社会主義者のような主観的願望ではなく、現実に走っている資本主義社会の仕組みを客観的に見てとらえ、そこからどのようにして社会主義社会が移行・実現できるかを科学的に分析したのである。彼らは空想的社会主義と一線を画すため、自身たちの掲げる社会主義思想を"科学的社会主義"と称した(また彼らは社会主義という言葉もあえて使わず、"共産主義"を使用した)。

 マルクス主義とも呼ばれる科学的社会主義は、この世のすべては人間の頭の中の"頭脳"(つまり"物質"的なもの)によってつくられるという唯物論が取り入れられている。逆に物質である頭脳や、人間も含むこの世のすべては"心"(つまり"精神"的・"意識"的なもの)によってつくられるとされる唯心論や観念論は取り入れられていない。マルクスは共産主義を科学的に分析するにあたり、あらゆるすべての存在・実在を"心"ではなく"物"に求めて、現実分析の弱いユートピア思想を批判したのである。
 さらにマルクスは、社会の発展を科学分析する際、唯物論に加えて弁証法を取り入れた(弁証法:まず肯定された存在Aがあるとする(これをテーゼ、あるいは「即自」という。"正"の状態)。このAを否定する存在B(アンチテーゼ。「対自」。"反"の状態)の登場で矛盾を生み、両者は相互否定して対立するが、この対立で本質を生かしながらも変化や発展を遂げていき(アウフヘーベン。止揚)、より高い次元に統一された存在C(ジンテーゼ。"合"の状態)が産み出される)。
 弁証法はドイツ人哲学者ヘーゲル(1770-1831)が打ち立てた理論である。ヘーゲルの弁証法はドイツ観念論の発展形であるが、マルクスやエンゲルスは、弁証法を精神的・観念的にとらえるヘーゲルの理論をマルクス主義的に批判、つまり物質的にとらえた弁証法として継承、世に広めたのである。その結果が、唯物論と弁証法の融合だった。
 それは、テーゼを資本家階級とし、この階級と対立するアンチテーゼを労働者階級とした場合、革命行為といった変化や発展によって、より高い次元に統一された社会主義社会が産み出されると考えた。まとめると、この世のあらゆるすべては、自ら運動して発展していく"物質"であり、それは内部で矛盾や対立を起こして発展していき、より良い結果を生んでいく。"精神"も発展していった物質が産み出したものであるということである。これがマルクス主義における、唯物論を土台にした弁証法、つまり唯物弁証法弁証法的唯物論)である。

 そして、社会をつくる土台は、その社会で必要な物質を生産すること、つまり"経済(経済的生産力)"に基礎が置かれる。これを下部構造という。そして、この土台の上には、政治・法律・哲学・宗教・道徳といった人間の心・精神・意識から形成された上部構造が存在する。下部構造である経済を支配しているのが資本家階級であるならば、上部構造も資本家階級らの心・精神・意識によってうみだされた政治・法律・哲学・宗教・道徳によって成り立つことになる。これに唯物弁証法の理論を加えると、労働者階級との対立から変化・発展を繰り返し、革命により労働者階級が下部構造を支配するようになれば、上部構造も労働者階級によって成り立つ社会となる。マルクス主義者が持つ、この弁証法的唯物論の見地からみた歴史観を唯物史観史的唯物論)という。マルクスはこの唯物史観を"人間の意識精神がその存在を規定するのではなく、人間の社会的存在物質がその意識を規定する"とまとめ上げている(1859。マルクス『経済学批判』の序言より)。

 マルクスの考えでは、資本主義社会は労働の意義が失われているという。本来、労働というものは、一人一人の人間が自身の技術・能力でもって行い、これによって産み出された生産物によって喜びを感じ、労働の素晴らしさと自身の技術・能力を確認できるものであるとマルクスは教えているが、それが現実社会では、資本家階級の搾取によって労働の意義が疎外されている状況である(疎外された労働。労働の疎外)。労働者階級が労働を行う際、労働賃金以上に生まれる価値、いわゆる剰余価値は資本家階級の利潤となり、儲けである。これが搾取の対象になる(マルクス経済学の剰余価値説。マルクスの主著『資本論(1867年に第1巻完成)』に詳しい)。
 高度に発達した資本主義社会において、その内部に矛盾や対立が生まれると、労働者階級によって必然的に社会主義社会が作り出されるのは歴史の流れとして当然のことであると考えている。内部矛盾によって、社会主義社会へと動いていく運動法則を打ち立て、生産手段は共有、階級闘争のない、搾取のない社会が訪れると説いたのである。さらに社会主義は共産主義への過渡的な段階として、"各人は能力に応じて働き、労働に応じて分配を受ける"という原則に立ち、共産主義に至ると、階級の消滅に応じて、高度に発達した生産力のもとで"能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける"原則が実現されると説いている。

 マルクスは4歳年上の妻イエニー(1814-81)との家庭があったが、産まれてくる子ども達のほとんどは夭逝する不幸を背負い、家計は極貧でありながらも妻イエニーは献身的に夫を支えた。しかし1881年、マルクスを支えたイエニーが没すると、その2年後、後を追うようにマルクスは、膨大な草稿を残したまま、肘掛け椅子に座った状態で没したとされている(1883。マルクス死去)。彼の葬儀ではエンゲルスが弔辞をおこなった。エンゲルスはマルクスの『資本論』をはじめとする遺稿編集を行っていった。

 社会主義思想の国際的な高まりもみられた。世界初の労働者階級の組織で、1864年発足の国際労働者協会、いわゆる第一インターナショナルである。マルクスが創立宣言と規約を起草して社会主義運動を高めていくはずであったが、アナーキストとの内部対立があり、プルードン派や、ロシアのバクーニン(1814-76)を追放するなど障害もあり、追い打ちとしてパリ=コミューン(1871)後における社会主義者弾圧が強化された。このために1876年に解散したが、1889年には第二インターナショナル(国際社会主義者大会。1889-1914)が結成され、マルクス主義者を中心とする各国の社会主義政党が顔を並べ、第一次世界大戦勃発時まで続いた。

 20世紀前半における社会主義者の主役はロシアのウラジーミル=レーニン(1870-1924)である。当時ロシア内部でおこっていた中途半端な資本主義社会体制と、市場・資源・労働力を確保するために植民地を得ようとする帝国主義の時代に生きたために、このマルクス主義を創造的に発展させて新たなマルクス主義を示すことになる。それは、"資本主義"とその発展形(あるいは、その最終段階)である"帝国主義"を分析すると、そこに本質的な矛盾や対立があることを指摘して、結果社会主義革命(プロレタリア革命)の歴史的必然性を主張するというもので、マルクス=レーニン主義といわれる(この思想はレーニン没後、スターリン(1879-1953)が解釈して体系化された)。「革命と独裁」への歴史的必然性が主張されるのがマルクス=レーニン主義である。
 レーニンは、第一次世界大戦(1914-18)という大戦争を、"死滅しつつある資本主義"、"社会主義革命の前夜にある資本主義"、あるいは"国の間の帝国主義戦争"と主張し(レーニン著『帝国主義論』)、資本主義の発展形である各帝国主義国間の戦争は不可避であるとして、大戦から早々と離脱してプロレタリア革命、つまりロシア革命を起こし(ロシア十一月革命。ロシア歴十月革命。1917)、プロレタリアートによって結成されたソヴィエト勢力が権力を握り、レーニンが率いた党であるボリシェヴィキ(ロシア共産党の前身)の一党独裁を実行した。プロレタリアートによる国家的権力をプロレタリアート独裁として行使して、資本家など反革命勢力を抑圧しなければ、共産主義は完璧に実現できないとレーニンは説いたのである。

 レーニンの理論は、1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦樹立によって証明され、その後も東ヨーロッパや東アジアにおいて次々と社会主義国家が誕生した。その多くは、国家による平等で計画的な経済が推し進められていった。当然、競争原理が働かないため、労働者がいくら働いても分配は平等なのである。社会主義国家はこれが理想であったのだが、現況では土台である労働者階級主体の形ではなく、国家元首が主体であり、マルクスが唱えた歴史観とは異義的な見解となっている。結果的には国家が労働者階級をはじめとする人民の自由・人権を抑えていく構図となり、1990年代を迎えると徐々に崩壊の道へと向かっていった。現在に残る社会主義国においても多くは純粋で完璧な社会主義・共産主義体制はみられず、市場経済を取り入れるなどして、懸命に持続を図っている。 


 今回の内容は、難解でした。受験世界史の分野においても、社会主義・共産主義の思想ほど難しい分野はないでしょう(と言いますか、受験世界史における哲学・思想の分野は全体的に難しいです)。ただ、今回ご紹介した内容は一部受験倫理分野においても必須事項が含まれます。マルクス没後の内容はジェットコースター的に進めましたが、次回では、関連内容として、マルクス没後における、とある国家の、とある社会主義政党のお話をさせていただく予定です。

 ではさっそく今回の学習ポイントを見てまいりましょう。まず資本主義は自由(利潤を自由に追求できる社会)、社会主義は平等(階級のない平等な社会)・・・この感覚を覚えておきましょう。そして平等≠自由です。社会主義は資本主義の勃興により資本家階級(狭義のブルジョワジー)の搾取に苦しむ労働者階級(プロレタリアート)の惨状からうまれた思想です。この状況に応じた解決を求めて、イギリスのロバート=オーウェン、フランスのサン=シモンとフーリエが社会主義社会の構想を打ち立てました。この3人は世界史・倫理両科目で必須人物です。オーウェンのニュー=ハーモニー村やフーリエのファランジュは倫理の用語集でも見かけます。これは余談ですが、オーウェンは児童労働を通じて児童の保護に努めたと同時に、児童の教育にも熱心で、性格形成学院なる幼児教育所を工場に併設しました。これが幼児教育の先駆けといわれるもので、世界最初の幼稚園経営を行った人としても知られています。

 この3人は資本家に人道主義化を求めました。つまり労働者階級に対して協力体制をしき、労働条件を改善して、資本家階級だけが得をする社会をなくそうというものでしたが、実際は現実分析が弱く、単に頭の中で描いたユートピア、今風に言えば、"絵に描いた餅"にすぎないため、空想的社会主義と呼ばれてしまいます。そう呼んだのは、社会主義を科学的に検証・考察・分析した科学的社会主義者、マルクスとエンゲルスでした。言ってみればこの2人が今回の主役です。

 まず本編に登場しなかったマルクスとエンゲルスの重要項目を。1842年2月、マルクスとエンゲルスは、ロンドンの共産主義者団体(共産主義者同盟)によって、同団体の綱領を起草するように依頼を受けます。これが、『共産党宣言』です。発表年とともに非常に大事な項目なので知っておきましょう。"ヨーロッパに幽霊が徘徊している。社会主義という幽霊である"や"万国のプロレタリア(=労働者)よ、団結せよ!"の言葉で有名です。
 マルクス関連として知っておくべき受験必須項目は、唯物論と弁証法をあわせた唯物弁証法(弁証法的唯物論)がまず1つ。唯物論とは、物(物質)重視で、「真の存在は物質だけ」と考える理論です。精神的な現象も物質の作用によるもの、またはその副次的なものであるという考え方です。反対語が心(精神・意識)重視の唯心論です。いっさいの根源・最高の実在を"心"と考えて、心はすべて本体として唯一の実在であるから、いっさいのものはすべて、心の作用によるものであるという考え方です。唯心論とだいたい同じ感覚でとらえられているのが観念論です。受験用語では、観念論と唯物論が対義語的に扱われます(はっきり言って、観念論と唯心論の違いも今ひとつピンと来ません)。ちなみに哲学分野も今後取り入れていく予定ですので、このときにもう少し詳し目にご紹介できたらと思います(観念論は本当に奥が深いので)。ちなみにこれも本編にでませんでしたがマルクスの唯物論は、ドイツ哲学者フォイエルバッハ(1804-72)の主張した唯物論を受け継いでいます。受験世界史では出所は少ないですが、余裕があればこれも知っておきましょう。
 弁証法哲学はヘーゲルが大成者です。彼の名前も知っておきましょう。正・反・合の関係も倫理では大事ですね。マルクスはヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハの唯物論を批判的に摂取して弁証法的唯物論を大成しました。世界の本質は物質であるという唯物論を下地に、物質の運動法則や形態が"正・反・合"の弁証法的展開で進行するというものです。
 あと1つは、唯物史観です。弁証法的唯物論の立場でみて歴史の発展法則を解明します、マルクス主義の歴史学(マルクス歴史学)です。また経済学部門では、マルクス経済学もあります。剰余価値説・労働価値説、『資本論』がキーワードになります。

 レーニンの登場になると、マルクス=レーニン主義に発展します。これはもう実力重視です。資本主義が帝国主義になるともう戦争しかない、だから社会主義者は歴史的革命をおこすことが当然であるという見方です。ある意味毛沢東(もうたくとう。1893-1976)もマルクス=レーニン主義をさらに当時の中国の状況におりまぜて"毛沢東思想"を打ち出していました。レーニンの思想や毛沢東の思想は受験世界史には登場しませんが、受験倫理には重要です。

(本編は2009年1月16日~17日頃にupする予定にしていたものです。諸事情によりupできませんでした)