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世界史の目

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ギャラリー

第31話


メソポタミア文明(B.C.3000~)

 人類による最初の文明が起こった地、オリエントとは、「太陽の昇る方向」を意味し、イタリア人からみて東方、つまり地中海東岸の地の呼称で、エジプト・西アジア・小アジア(アナトリア)など、現在では"中東"あるいは"中近東"と呼ばれる地域である。砂漠が広がる乾燥地帯で、高温小雨のため、遊牧とオアシス農業が基本であったが、やがて大河の流域で、定期的な氾濫による灌漑農業が発展し、穀物を供給し、定住する社会が生まれ、それに伴う高度な文明が築かれた。ナイル河流域ではエジプト文明が、ティグリス・ユーフラテス両河流域ではメソポタミア文明が、それぞれ大規模に起こったのである(エジプト文明についてはVol.24古代エジプト文明を参照)。

 "メソポタミア"は、ギリシア語で"川と川の間の地"を意味する、ティグリス・ユーフラテス両河流域(現イラク地方)をさす。両河は、小アジア(現トルコ)のアナトリア高原東部から発し、ペルシア湾へ南東の方向に向かって貫流している。両河域の西方にはすぐ地中海があり、同海東岸にたどり着く。ここはシリア、パレスチナなどにあたり、メソポタミアと連ねて農耕文明の成立地帯となった。アメリカの東洋学者ブレステッド(1865~1935)は、このブーメラン形に連なる地帯を"肥沃な三日月地帯"と命名した。

 前4千年紀(前○千年紀は1000年単位で使う年代の呼び方。B.C.4000~B.C.3001までの1000年間をさす)の中頃、メソポタミア南部で人口が急増した。両河は水源地帯の雪解けによって定期的に増水し、この河水を利用することで大規模な灌漑農業が可能になり、農業の大量生産が行えたためである。人口増加は大村落(町邑。ちょうゆう)の成立をおこし、やがて村落は神殿を中心に形成された。やがて文字の発明や、銅・青銅器などの金属器が普及しはじめていった。B.C.3000年頃になると、農業者以外でも他の職人をはじめ、商人が生まれた。また、神官・戦士の誕生により、大村落は都市に発展した。都市では、この神官や戦士を王として行政・軍事の実権を握り、人民を支配する階級支配による社会が形成され、都市国家の形態となった。

 多くの都市国家を最初に形成したのはシュメール人(民族系統不明)で、B.C.2700年頃までには、多くのシュメール都市国家が形成されていたという。シュメール人は文字を発展させて楔形文字(くさびがたもじ)を使用し、祭祀や法規をを粘土板に書き記し、日干しにして保存した。また農業社会であったため、自然との共存の必要性から、天文学・暦学が発達、天文では占星術六十進法、暦学では太陰暦を発展させた。六十進法では度量衡の基準となるほか、時間や方位の観念がおこり、1週7日制がうまれた。
 シュメール人はウル・ウルク・ラガシュ・エリドゥなどの強大な都市国家を形成していたが、その中のウルクは、楔形文字の原型となる絵文字を残している。また、天の神アンと女神イアンナを祀り、神が支配する都市国家とした。神官である王は、"神みずからが行う政治"という観念をもとに神権政治を行った。ウルクでは、ルガルザケシ王の神権政治のもとでシュメール帝国の統一が達成されている。またウルクの伝説の王ギルガメシュの英雄伝が叙事詩として残されているが(『ギルガメシュ叙事詩』)、その中には、のちの『旧約聖書』に登場する"ノアの方舟(はこぶね)"伝説の原形と思われるウトナピシュティムの洪水伝説が語られている。
 全盛期を迎えたのはB.C.26世紀ごろのウル第1王朝時代で、中心部には聖塔ジッグラトがあり、神を祀った。ジッグラトはのちの『旧約聖書』に登場する"バベルの塔"の原形ともいわれている。各都市国家は神権政治をおこないながら、豊かな農業生産と交易で得た物資などで経済力を高め、神殿や王墓をきずいて強力な都市文明を発展させていった。

 しかし、シュメール人の数々の都市国家は、その1つ1つが独立国家であったため、固有の守護神を祀り、たがいに覇権をめぐって絶え間なく戦争が引き起こされた。また異民族の侵入も増え、遂にはセム系アッカド人によってシュメールの都市国家は一時征服された。アッカド人はB.C.24世紀後半、アッカド王サルゴン1世(位B.C.24世紀後半~B.C.23世紀初。在位50年以上)のもとでメソポタミアにおける数々の都市国家を統一させ、首都アッカド市(所在地不明)をおいて初の統一国家アッカド王朝を成し遂げた。サルゴンは常備軍を5000人以上従え、交易をもとめて四方に34回の遠征を行い、領土を拡大した王として知られている。しかし、約1世紀後には異民族の侵入でアッカド王朝は滅び、B.C.21世紀ごろにはシュメール人が一時勢力を盛り返した(ウル第3王朝)。この頃に最古の法典「ウル・ナンム法典」が集成、両河中流に主要都市バビロンも建設されている。だが、このウル第3王朝はシュメール人にとって最後の王朝となり、B.C.2000年頃、セム系遊牧民のアムル人がシリア砂漠からメソポタミアに侵入し、シュメール人は滅んだとされている。

 B.C.20世紀、アムル人はシュメールの社会・文化を継承して、バビロン(市神は天地創造の神マルドゥク)を都におき、バビロン第1王朝古バビロニア王国)を建設した。しかし当時バビロニア地方(メソポタミア南部。ちなみに北部はアッシリア地方と呼ぶ)は分立傾向にあった。分立を阻止するため、30年に及ぶ征服戦争を経て統一に成功し、領土拡大を果たしたのがB.C.18世紀に登場した6代目王ハンムラビ(位B.C.1792頃~B.C.1750頃)だった。
 バビロニアを統一したハンムラビはバビロン第1王朝の黄金期を現出した。バビロン市の興隆に乗じて、マルドゥク神はバビロン市神からバビロニアの神として祀られた。また各地に神殿を建立し、運河の大工事を実施して灌漑施設を充実させた。こうしてハンムラビは平和な中央集権国家を築き上げたのである。
 またハンムラビの偉業の中には、前のシュメールの諸法典を継承した「ハンムラビ法典」の制定が名高い。1901~02年、ペルシアの古都スサで、フランスの探検隊によって発見された、「ハンムラビ法典」の原文は、高さ223cm、直径61cmの円柱形の石碑に刻まれており、民法・刑法・商法・訴訟法など、全282条から成る。とくに有名なのは刑法における「目には目を、歯には歯を」といった復讐法で、"他人の目を傷つけた者は、人々は彼の目を傷つけよ"といった同害刑の原則が数多くある。また、身分別に異なった刑罰を課すのも同法典の原則にある。

 繁栄を誇ったバビロン第1王朝も、ハンムラビの死を迎えるとともに衰退に向かい、東方からやってきたインド=ヨーロッパ系民族の侵入がいちじるしくなった。B.C.17世紀頃、史上最初に出現したインド=ヨーロッパ系民族、ヒッタイト人は、小アジアヒッタイト王国を建設、ハットゥシャシュ(現ボガズキョイ。現アンカラ市近く)を都においた。B.C.1595年頃の王ムルシリ1世は、バビロン第1王朝と戦い、これを滅ぼした。滅亡したバビロニアのあとには異民族カッシート人(インド=ヨーロッパ系か?)が侵入し、バビロンを首都にバビロン第3王朝(カッシート王国)を展開、クリガルズ1世といった名君も登場した。400年間バビロニアを支配したが、B.C.1155年頃エラム人(民族系統不明)によって滅ぼされている。

 ッタイト王国では、シュピルリウマ1世(位B.C.1380頃~B.C.1340頃)の時に最盛期(B.C.14世紀)を迎えて、2頭立ての馬車だけでなく、史上初の鉄製武器を使用したことによってその軍事力を強大にし、フルリ人(民族系統不明)が多く住むミタンニ王国(メソポタミア北部から北シリア辺り)と抗争、制圧してこれを服属国とした。またムワタリ王のとき、シリアに進出して、その覇権をめぐって、エジプト新王国・ラメス2世(ラムセス2世。位B.C.1290頃~B.C.1224頃/B.C.1304頃~B.C.1237頃)と戦い、ハットッシリ3世の時、現存する最古の国際条約をエジプトと締結(B.C.1269)した。その後のヒッタイト人は、B.C.1190年頃、地中海東岸一帯に来襲した混成移民集団"海の民(民族系統不明)"によって滅んだが、彼らによるの精錬技術はメソポタミアの至る所で普及するようになり、鉄器文化をもたらした。さらには、この文化はヨーロッパ・インド・中国にも伝播し、全世界に鉄器時代が到来するのである。


 1学期、初めて世界史を学習した高校では、定期考査の試験範囲には、だいたい本編の内容が入るのではないでしょうかね。歴史時代における教科書の最初のセクションであるメソポタミア文明の登場です。

 過去、四大文明のシリーズは、インダス文明(Vol.9)、エジプト文明(Vol.24)と行ってきましたが、今回はシリーズ第3回目です。エジプト文明と近隣ということもあって、ラメス2世など、エジプト文明と重複する分野も登場しましたが、エジプトと違って、多数の民族が入り乱れて複雑なのが特徴です。エジプトではナイル川の流れが急で渡航が不可能な部分もあり、異民族侵入を阻む効果がありましたが、広大な陸続きのメソポタミア地方は、開放的な地形であるがために、多民族の侵入が容易に行えたわけです。

 メソポタミア文明は、文字の発明・60進法・太陰暦・製鉄といった文化を残し、今日まで日常的に引き継がれています。現在は同地方にイラク共和国がありますが、政情の不安定さは解消されておりません。この地方は、古代から中世を経て現代まで、まさに激動の時代にふさわしく、高校世界史の学習分野でも、全時代、幅広く取り上げられています。

 さて、今回の学習ポイントを見てみましょう。古代は、どの地方も年代がアバウトなのでなかなか覚えられないと思いますが、メソポタミア文明もだいたいB.C.3000年ごろからスタートしたと覚えてもらえれば良いと思います。シュメール人の登場もそのあたりで覚えておいた方が良いでしょう。アッカド人の登場はB.C.24世紀頃、アムル人のバビロン第1王朝はB.C.20世紀頃、ハンムラビ王のいた時代はB.C.18世紀頃、ヒッタイト王国はB.C.17~B.C.12世紀頃、カッシートもヒッタイトとだいたい同時代として覚えておけば大丈夫です。

 つづいて、人物をみましょう。、本編では数多くの人物が出てきましたが、ここではハンムラビ王だけ知っておいて下さい。本編で紹介した人物の中で、入試頻出事項は彼だけだと思います。アッカドのサルゴン1世やシュメールのギルガメシュ王も有名ですが、この2人は余裕があれば知っておいても良いでしょう。どちらかといえば、民族名とその系統名、国名などの方が重要のようです。たとえば民族系統不明の民族はシュメール人、フルリ人、エラム人など、セム系ではアッカド人、アムル人など、インド=ヨーロッパ系ではヒッタイト人など。ヒッタイトは鉄製武器の使用が重要キーワードになります。またカッシート人はインド=ヨーロッパ系ではないという説もありますが、ここではインド=ヨーロッパ系で覚えてもらっても大丈夫です。

 また本編では紹介しませんでしたが、セム語族は、シリア地方を中心にアラム人、フェニキア人ヘブライ人(イスラエル人・ユダヤ人)といった民族も活躍します。この辺りはまた別の機会でお話しさせていただきますが、アルファベットの原形が誕生したり、ダヴィデ王、ソロモン王、モーゼといった人物が登場するなど、ヴォリュームの多い分野ですので要チェックです。

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