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世界史の目

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ギャラリー

第59話


英国中世史・最後の内乱(1455-85)
~百年戦争後のイギリス情勢~

  1. 「百年戦争・勃発への道程」はこちら
  2. 「百年戦争・開戦と混乱」はこちら
  3. 「百年戦争・奇跡の終戦」はこちら

 百年戦争(1339-1453)に逆転勝利を収めたフランス・シャルル7世は晩年、精神に異常をきたし、毒殺を恐れて拒食になり、みずから餓死したとされている。その後王太子ルイ(1423-83)はルイ11世として王位につき(位1461-83)、最後の難関、ブルゴーニュ公領の併合にとりかかった。ブルゴーニュ公領はフィリップ=ル=ボン善良公の没後シャルル=ル=テメラール(突進公。位1467-1477)が統治するが、即位した1467年から10年かけて、ルイ11世率いるフランス軍と争い、結局は屈服して公領はフランスに併合されることとなった(1477)。その後、アンジューやプロヴァンスといった伯領を次々と併合していき、フランス王国の絶対主義化をすすめていった。

 一方、大逆転負けを喫したイギリス・ランカスター朝(1399-1461)はヘンリ6世(位1422-61,1470-71)の下、イングランド王国の統治に入った。もともとヘンリ6世は統治期間は長かったものの、生来病弱であり、フランス国王になりそびれて戴冠もできず、フランスとの百年戦争には敗北、成熟してからも王妃に振り回されるなどの日々が続き、ランカスター朝の支持率はいっきに低下していた。さらに、ヘンリ6世に対するイギリス国民からの信頼度もがた落ちであった。

 百年戦争はまた、西欧の国家体制にも影響を与えた。折しもこの戦時期は、ペストの流行、農奴解放の促進、農民一揆、貨幣経済への移行、荘園領主の地主化などに加え、弓矢刀槍にかわる火器の使用や、騎馬戦から大砲・小銃を使用した歩兵戦などといった戦術の変化がおこり、中小諸侯や騎士の没落が目立ち始め、これまでの荘園制度・封建制度が衰えていった。中小諸侯や騎士は、国王や大諸侯により所領を没収されていくが、忠誠心というプライドから無資産を嫌って彼らの廷臣(ていしん)となっていった。所領を貯えた国王の、王権強化をはかっていく時代に飛び込んでいったのである。こうした中、没落した大量の諸侯は、実入りをよくして地位を高めるには、家臣として王室に近づいて仕える手段を選ぶほかなかった。特に、百年戦争終結後、大量の騎士がフランスからイギリスに帰還し、土地不足に陥るほどであった。このため家臣を熱望していき、大量の家臣団が形成されていった。

 かつて、プランタジネット朝(1154-1399)は、8代の国王が君臨したが、百年戦争の原因を作った7代目国王エドワード3世(位1327-77)には、エドワード黒太子(1330-76)、ライオネル=オヴ=アントワープ(クラレンス公。1338-68)、ジョン=オヴ=ゴーント(ランカスター公。1340-99)、エドマンド=オヴ=ラングリー(ヨーク公。1341-1402)、トマス=オヴ=ウッドストック(グロスター公。1355-1397)と、5人の男子が公位に就いたが、その中のエドマンド=オヴ=ラングリーは、1385年ヨーク家をおこして、初代ヨーク公につき、同家から代々ヨーク公の称号を受け継いでいった。そして3代目ヨーク公、つまり、エドワード3世の曾孫にあたるリチャード(1411-60)のとき、プランタジネット王家の支流の系統としてヨーク家に王位継承権があることを主張し、ランカスター家に対抗した。
 ランカスター家の失政続きを機に立ち上がったヨーク公リチャードに、支持者は多く集まった。そして1455年、ヨーク公リチャードはランカスター朝・ヘンリ6世に対し、譲位を迫り、セント・オールバーンズ(ロンドンから北東)で遂に挙兵した。ヘンリ6世が率いるランカスター家とリチャードが率いるヨーク家の激突は、王位継承決定戦ともいうべき大規模な内戦であり、百年戦争によって大量の家臣団を抱えて不満な有力貴族も、両家に別れて死闘を繰り広げた。

 戦局はヨーク派が優勢であった。精神に不安を持つヘンリ6世はヨーク家の捕虜となり、結果ランカスター家の敗北に終わった。ヨーク公リチャードは1460年戦死したが、子エドワード(1442-83)がこれを戦い抜き、翌1461年ヘンリ6世を退位させ、エドワード4世(位1461-70,71-83)によるヨーク朝(1461-85)を開基した。

 ヨーク朝開始後、順調に統治が進むかと思いきや、エドワード4世の結婚問題でヨーク家に内紛が起こり、ヘンリ6世の王妃マーガレットの主導で、ヨーク派に仕えた諸侯を動かし、エドワード4世を追放、ランカスター朝ヘンリ6世が一時復位した(1470-71)。しかし、ランカスター派の勢力はすでに衰えており、翌1471年、エドワード4世は、弟グロスター公リチャード(1452-85)らと共に、勢力を盛り返して、ヘンリ6世と王妃マーガレットをロンドン塔に幽閉した。ヘンリ6世はこの年に没し、ヘンリ6世の治世は完全に終わった。

 ランカスター派の勢力を一掃したエドワード4世には、エドワード(王太子。1470-83)とその弟リチャード(ヨーク公。1472-83)といった2人の子がおり、エドワード4世の次期王位を、エドワード王太子に与えるつもりでいた。エドワード4世が病没すると(1483)、王太子はエドワード5世として王位に就き(位1483)、4世の弟グロスター公リチャード(つまりエドワード4世の2子エドワードとリチャードの叔父)が摂政となった。

 そこでグロスター公リチャードは、ヨーク朝の王位継承を企て、ロンドン塔にて幼いエドワード5世とその弟リチャードを幽閉、同1483年2人を殺害したとされている。グロスター公リチャードは、リチャード3世としてヨーク朝の王位に就き、その統治は専制化した(位1483-85)。ヨーク家の内紛でリチャード3世による一連の行動は国民を不安に陥れ、いっきに支持を失ってしまった。

 一方で破綻したランカスター派では、傍流のリッチモンド伯ヘンリ=テューダー(1457-1509。ジョン=オヴ=ゴーントの子孫にあたる)がヘンリ6世の死後、ランカスター派の長となっていた。ヘンリ=テューダーは、これまでフランスのブルターニュに亡命していたが、ヨーク家の内紛を機に、民衆の支持を得て決起し、リチャード3世に戦いを挑んでイギリスに上陸した。バーミンガム北東のボズワースが戦場となり、1485年8月、リチャード3世は、ヘンリ=テューダーに敗れて戦死し、ヨーク朝は遂に断絶した(ボズワースの戦い)。リチャード3世の遺体は馬に乗せられて、ボズワース近くのレスターで曝された。30年に及ぶ英国中世史に残る大規模な内戦は、遂に終結した。

 ヘンリ=テューダーは、イギリスにて王位に就き(ヘンリ7世。位1485-1509)、新しくテューダー朝を開基した(1485-1603)。そして、エドワード4世の王女エリザベス(1465-1503)と結婚してヨーク家とランカスター家は合体(1486)、王家統一が実現した。ヘンリ7世は、両家和解の象徴として、ランカスター派には赤ばらの紋章を、ヨーク派には白ばらの紋章をそれぞれ採用し、テューダー朝開基後は、赤と白を混ぜたばら(テュードル・ローズ)を紋章として採用した。これは現在イギリスの国花となっている。のちに国王がエリザベス1世(位1558-1603)の治世となって、劇作家シェークスピア(1564-1616)が、百年戦争後に起こった30年間の内紛を「リチャード2世」「ヘンリ6世」「リチャード3世」として劇化(1590-95)、紅白のばらの激突を描いて、高い評価を得た。この作品の影響で、1455年から30年におよんだ内紛は、後世になって「ばら戦争」と名付けられたといわれているが、近年の学説では、ランカスター家の赤ばらの紋章は実在しなかったともされ、シェークスピアの劇に登場した紅白の合戦は史実に基づかない、創作だったとする見方も出てきている。ちなみに「ばら戦争」の英語表記は「Wars of the Roses」となっているが、"Wars"と複数表記になっているのは、両家の内紛が幾次にも渡って繰り広げられたためである。

 ばら戦争の影響で、家系を絶やした貴族は疲弊・没落し、封建社会は完全に衰退した。一方でヘンリ7世の掲げるテューダー朝政権とは、封建貴族を抑えるために家臣団を解散させ、所領を没収して王領を拡大し、政権を国王に集中させることであった。貨幣統一、度量衡統一、課税強化などによって財政を安定させ、司法面では国王大権を全面的に押し出した裁判所・星室庁(せいしつちょう。ウェストミンスター宮殿の星の間と呼ばれる所。天井に星印がある)を設置して、政敵をねじ伏せていった。このようにしてヘンリ7世は、国王中心のイギリス絶対主義王政の基盤を築いていき、"中世英国"に有終の美を飾り、子ヘンリ8世(位1509-47)の治世によって、絶対主義国家イギリスの王政を完成するのである。これが、"近世英国"の到来であった。


 Vol.56から続いた百年戦争シリーズも今回が完結編です。今回は、百年戦争終結後の英仏をご紹介させていただきました。といってもフランスは最初の数行だけで、メインはイギリスの中世史のシメとなる"ばら戦争"を中心にお送りしました。

 百年戦争114年、ばら戦争30年、約150年近い間に、いったいどれだけの戦没者を出したのでしょうか?実際、平和を知らずに育ち、死んでいった人々も数多いことでしょう。ばら戦争は対外戦争ではなく内戦でしたが、封建社会(フューダリズム)でスタートした西欧世界は、内外問わず「戦い」で決着をつけることが1つの"掟"のような時代にあったように感じます。とくにイギリスとフランスは、王族や貴族のドロドロとした複雑な人間関係が、このような150年も繰り広げられた大戦争をうみだしたのではないでしょうか。

 さて今回の学習ポイントです。ばら戦争の年代(1455-85)はかならず覚えましょう。30年に及んだ戦争です。30年といえば、宗教対立からきたドイツの三十年戦争1618-48)も有名です。ランカスター朝とヨーク朝については、本編に登場した人物(ヘンリ6世、ヨーク公リチャード、エドワード4世、リチャード3世など)はあまり出題されません。むしろ王朝の変遷において、ランカスター朝→ヨーク朝→テューダー朝の順番を知っておきましょう。人物はテューダー朝になってからの、その創設者ヘンリ7世を覚えてください。彼の作った星室庁もよく出ます。この裁判所は、今後の絶対王政のシンボル的存在となります。